一乗寺
置恩寺から東方に展がる寺口の集落の中に、一乗寺という寺がある。
真宗興正派で、本尊は阿弥陀如来である。延徳3年(1491年)了準の創立にかかり、もと白鳥庵といって天台宗であった。元亀年間(1570年)に布施一族の行盛が帰依して、太鼓を寄進した。しかし、白鳥庵も布施氏没落とその運命を共にし、諸堂焼失のうき目を見たが、奇しくも太鼓はその難を免れて、一乗寺の宝物として保管されている。
兵火後、小堂を建てて白鳥山一乗寺と号し、延享4年(1747年)に一雲法師が再建して、今日の隆盛を見ている。真宗に改めたのは文明5年(1473)といわれているが、確認は出来ない。
宝物のこの太鼓についておもしろい話が伝えられている。布施城天守閣に備えられたこの太鼓は、まれに見る優秀な太鼓であったらしい。その音響は、布施城に向かって西南して相対している、はるか東方の植村藩の高取城まで響き渡ったといわれている。
植村藩では、布施城天守閣からとどろき渡る太鼓の響きに圧倒されるので、太鼓の響きを小さくするように布施藩へかけあってきた。我が国における公害問題の第1号だろうか。
布施藩ではことの意外に驚いて、重臣相より鳩首協議の結果、申し出を全面的に受け入れることは出来ないが、ある程度太鼓の胴体を縮めることにして、円満解決したということである。(地元西川菊太郎翁談)
縮められた太鼓は、鼓面直径65cmセンチに、胴長も65cmであり、最終的には大正13年(1924年)3月に西口志満太郎、池田勇蔵によって張り替えられているが、胴体は数百年を経た重厚さとさびがあり、名鼓の面影を残している。過って鼓面に少しでも触れると、きれいな響きは何時までも消えずに残る。
今もし寺口邑の高所から、力いっぱいこの太鼓を叩いたとすれば、おそらく高取町(植村藩)までひびきわたるかもしれない。植村藩からの申し出が無理でなかったような気もする。
西口 紋太郎著 (株)世界文庫 「葛城の雫」より
永代供養
永代供養をご希望の方は、メールか電話によりお気軽にお問い合わせください。
費 用
アクセス
奈良県葛城市寺口646番地
電話 & FAX : 0745-69-2016
Email : Ichijojimail@yahoo.co.jp